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全印刷の軌跡

全印刷70周年記念動画

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1945~1955

1945(昭和20)年

第2次大戦終結後、GHQ(米占領軍)は日本の民主化を推進。日本の労働者は一斉に立ち上がり、印刷局労働者も次々と機関別従業員組合を結成する。
酒匂工場従業員組合・・・・・・・・12月6日
滝野川工場従業員組合・・・・・・・・12月28日

労働組合法(旧法)が公布。監獄・消防・警察を除くすべての労働者に労働基本権を保障。

1946(昭和21)年

市ヶ谷工場従業員組合・・・・・・・・1月19日
王子工場従業員組合・・・・・・・・1月29日
武生工場従業員組合・・・・・・・・1月30日
静岡工場従業員組合・・・・・・・・2月1日
西大寺工場従業員組合・・・・・・・・2月2日
本局従業員組合・・・・・・・・2月10日
彦根工場従業員組合・・・・・・・・3月9日
病院従業員組合・・・・・・・・4月1日
4月1日「印刷局従業員組合連合」を設立。大蔵3現統一要求を提出し、中央闘争委員会を確立する。

「リンゴの唄」がヤミ市から聞こえ、人々に明るさが。全国各産業で労働組合が結成。メーデー復活。インフレ抑制で新円切換えが行われた。

1947(昭和22)年

GHQの命令により2・1ゼネスト中止。3月15日連合全国大会で単一組合の結成を可決。4月1日・2日東洋大学講堂で「全印刷局労働組合」結成大会を開催。4月24日労働協約を調印し労使対等の原則を確立する。


全印刷第1回全国大会
(1947年1月30日滝野川工場一心寮2階)

新憲法制定化で初めての総選挙。労働基準法が成立。国家公務員法公布、労働基本権を保障。

1948(昭和23)年

身分差別撤廃・生活補給金要求等をかかげ、1月29日より9日間にわたる全工場総罷業を決行。7月22日マッカーサー書簡・政令201号により労働協約失効、官公労働者の基本権剥奪される。


ストライキ総決起大会
(1948年2月3日市ヶ谷工場広場)

帝銀事件・東京裁判・福井地震の発生。大量の人員整理をめぐり、195日間の大ストライキという東宝争議。

1949(昭和24)年

武生工場閉鎖・行政整理反対闘争のさなか定員法による人員整理が強行され、年末闘争を官公労働者と共にハンスト戦術で闘う。


越冬資金闘争でハンスト決行
(1949年12月17日四ツ谷・大蔵省前)

国鉄の10万人人員整理が起こり、三鷹事件・松川事件・下山事件と国鉄がらみの事件が続発。湯川博士がノーベル賞を受賞。金不足から中小企業の倒産が多発。

1950(昭和25)年

「賃上げゼロ」に3月闘争を展開。朝鮮戦争開始による韓銀券緊急製造の至上命令、第2次レッドパージ、武生工場閉鎖問題の再燃と、企業合理化攻撃強まる。

国労、日教組、炭労など15単産、約360万人の「日本労働組合総評議会(総評)」が結成。千円札発行。

1951(昭和26)年

第19回臨時大会で平和4原則を基調とする「講和に関する決議」を採択し、総評正式加盟を決定。年末闘争で全大蔵傘下による大蔵省ハンストを決行する。


年末闘争で大蔵省に動員をかける大蔵三現
(1951年12月)

マッカーサー元帥が解任される。国際労働機構(ILO)への復帰。サンフランシスコ講和条約調印。日米安全保障条約調印。

1952(昭和27)年

「印刷業法」制度を阻止。武生工場は事実上運営不能となり閉鎖に至る。1・29ストで獲得した生産奨励金制度廃止される。


局長室前座り込み
(1952年12月5日)

5月1日の第23回メーデーは、警官隊と労働者や学生が衝突し「血のメーデー」となる。街では「君の名は」が空前の人気となる。16年振りにオリンピックに参加。

1953(昭和28)年

公労法適用を機に労働協約締結。4月17日全印刷労働会館落成。12月28日3公社5現業組合による公労協発足する。
全印刷局労働組合法人設立(3月18日)

テレビの本格放送によりテレビ時代を迎え、街頭にテレビが設置されナイター・プロレス観戦。

1954(昭和29)年

人員整理反対闘争から、賃上げ夏期手当要求での座り込み行動、3日間にわたる3割休暇戦術と、公労法下初の闘いを展開する。

ビキニ被災によって原水爆禁止の運動が広がる。ゴジラ・ローマの休日・二十四の瞳・七人の侍と名作が封切り。

1955(昭和30)年

9月2日大蔵省議の百円硬貨発行の「企業防衛闘争宣言」を発表。一斉休暇戦術の職場討議を確認し、ミツマタ生産者との共闘を強める。

砂川基地反対闘争で流血の惨事、各地で基地反対闘争が広がる。総評8単産による「春季賃上げ共闘会議」を結成。「春闘」と呼ばれる賃金闘争を開始。

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1956~1965

1956(昭和31)年

1月14日四ツ谷公園、9月29日日比谷公園での「百円銀貨製造・高額紙幣発行反対中央決起集会」を節目に、全組織あげての闘いを展開する。

日本経済は漸く不況を脱し「神武景気」と称する好景気に入る。一方公務員への人事院勧告は2年続けてゼロ勧告となる。

1957(昭和32)年

臨時通貨改正法案が付帯決議を確認して衆参両院で可決。5月29日からの第19回提起大会で「企業防衛闘争」を集約する。仲裁裁定早期実施とあわせて賃金体系変更交渉を妥結する。


銀輪部隊大蔵省に陳情行動
(1957年3月18日)

岸内閣は一千億円所得減税を実施したが、諸物価の値上がりが厳しく、減少傾向にあった国税滞納が増加したため効果は表れなかった。五千円札発行。

1958(昭和33)年

賃金体系の昇給基準に関する背信行為、職場での労使慣行無視、配分闘争の不当処分への闘いから、超勤協定闘争での無期限超勤拒否など職場からの行動を強める。

岸内閣の反動攻勢に対し、労働3権の奪還・弾圧反対、勤評反対、闘争激化。インフレを招くのではと反対された1万円札発行。東京タワー完成。

1959(昭和34)年

賃上げ・反合理化の春闘は安保改訂阻止・炭労三池の闘いと結合した「総資本対総労働」の闘いへとひろがり、全印刷も統一行動を果敢に闘う。

史上まれな好況となり「岩戸景気」と名付け、設備投資、個人消費の伸びが高まる。安保改訂阻止闘争でデモ隊が国会へ。

1960(昭和35)年

「安保承認」の強硬採決に史上空前の大国民運動が高まる中で、全支部一斉職場集会、国会デモを闘い安保処分に反撃闘争を展開する。


60年安保闘争国会包囲デモ
(1960年6月15日)

「安保闘争」と「三井三池闘争」に明け暮れた年。「所得倍増」で景気は活況が続き、中卒就職者は「金の卵」ともてはやされた。「ダッコちゃん」が大流行。

1961(昭和36)年

超勤規制処理をめぐり市ヶ谷支部が超勤拒否に突入。証券4支部を拠点とする反合理化3・23職場大会への不当処分抗議行動は機動隊導入に屈せず実質撤回を勝ち取る。


反合理化闘争への不当処分撤回闘争
(1961年5月6日、小田原支部)

高度経済成長政策は、安定した物価が急上昇し、労働者の生活を圧迫した。マイカー時代・レジャーブームとなる。人類初の宇宙旅行「地球は青かった」「巨人・大鵬・玉子焼」

1962(昭和37)年

2年にわたる「事前協議体制の確立」要求の交渉により7月20日「印刷局の設備近代化の実施に関する話合いルール」を確立する。10月「証券4支部統一業務量設定闘争」を指令、不就労闘争の体制を確立する。

景気は国際収支の赤字や設備投資が減少し、かげりが出始める。東京の人口が1,000万人を超える(世界初)ニセ千円事件発生。

1963(昭和38)年

滝野川支部を拠点に春闘第1波スト決行。第28回大会決定による「合理化関係基本要求」を提出し、無期限入場規制・超勤拒否など諸行動を展開、10月27日「雇用安定協約」を調印する。組織機構改革に伴う給与体系格付変更の強行実施を団交権侵害として東京地裁に提訴する。

高度成長下で、ヨーロッパ並みの賃金獲得を目標(3~5年の間に賃金を2倍に引き上げる)に春闘。新千円札が発行される。

1964(昭和39)年

臨時行政調査会の印刷局分割構想に反論し構想を阻止。太田・池田会談により公労協労働者の賃金の民間準拠の確約をかちとり4・17半日ストを中止。裁定配分の背信行為で王子・彦根支部拠点に2時間ストを決行する。

アジアで初めてのオリンピックが東京で開催。景気はオリンピックで活況を呈した。春闘で太田・池田会談。東海道新幹線開業。

1965(昭和40)年

第1波西大寺、第2波虎の門・滝野川支部を拠点に公労協統一ストを決行。8月16日全大蔵協議会を結成。

オリンピック景気が終わり、不況と物価高騰による生活は苦しくなる。ベトナム戦争反対、原潜寄港阻止など反戦・平和の闘いが強まる。戦後初の赤字国債発行。

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1966~1975

1966(昭和41)年

証券部門当面の業務量設定について中央確認。当局の小田原工場分割・表彰制度改悪案に反撃行動を展開、分割中止の了解事項を勝ち取る。提訴中の「団交権侵害訴訟」に棄却の東京地裁判決出される。

景気は再び回復に向かい、高度成長ぶりで経済大国の基盤が築かれる。物価メーデー、反戦・平和と大幅賃上げを掲げ10.21ベトナム反戦統一行動。

1967(昭和42)年

公労協春闘統一ストを滝野川支部郵券分会を拠点に闘う。小田原ローランド導入に伴う機付人員削減に対して不就労闘争に突入する。その闘いのなかでの不当労働行為事件について、横浜地裁に提訴する。


不当処分抗議行動
(1967年6月本局正門)

首都東京に初の革新知事が誕生。春闘は好況を反映して、例年にない高額を獲得した。

1968(昭和43)年

小田原ローランド闘争における不当労働行為事件公判のさなか、停職12名をはじめとする処分勧告に全組織をあげた抗議行動に突入。公労協春闘で静岡支部拠点にストを決行する。

「いざなぎ景気」に沸いた反面、高度成長のひずみによる公害問題が大きな社会問題となる(水俣病、イタイイタイ病、水銀中毒など)。

1969(昭和44)年

総定員法反対・合理化諸要求をかかげて小田原支部を拠点に4・17スト行動。10・21国際反戦統一行動を起点に安保廃棄・沖縄返還11月闘争を展開する。

大学などで学園闘争が多発。国際収支の大幅な黒字で日本人は「エコノミックアニマル」という言葉が生まれる。

1970(昭和45)年

ILO体制による離籍専従役員の信任投票を実施。春闘における組織分断攻撃に対する中闘声明発表。70年安保闘争に続き、一方的な分任替に抗議し、王子闘争を中心に職場支配体制強化に「高額券闘争」をもって激突する。

アジアで初めての万国博覧会が大阪で開催。春闘は物価が大幅に上昇する中、5ケタ春闘を目標に闘われた。

1971(昭和46)年

印刷局合理化3ヵ年計画に対し合理化特別対策委員会を発足。検査作業量アップ強行実施。職場支配体制強化に「高額券闘争」をもって激突。

ドルショックにより1ドル360円時代は終わり、不況を迎える。公害問題が深刻になり、公害反対と補償闘争が多発。

1972(昭和47)年

高額券検査枚数に関する話し合いで労使確認。新経済発展計画の誤りによる日銀券減産の生産調整に基本要求をもって対応する。8月3日新・全印刷会館竣工式。第38回定期大会で離籍専従制度に移行する。

田中内閣の「日本列島改造論」で、インフレと物価高の中、春闘は生活向上中心の闘いへと質的転換、沖縄の日本復帰、日中国交正常化。

1973(昭和48)年

公労協スト権奪還統一行動の2・10職場集会における不当労働行為に公労委へ救済申し立て。総評・公労協は公制審へ官公労働者の労働基本権について申し入れる。

オイルショックにより物価高騰、超インフレ、物不足、トイレットペーパーや洗剤の買いだめが起こる。初の年金ゼネストが行われた。円は変動相場制に移行。

1974(昭和49)年

スト権奪還・反インフレ国民生活諸要求・大幅賃上げを柱とする国民春闘で、小田原、虎の門、滝野川、王子、岡山、本局支部を拠点に7波にわたるストを決行。ドラ凹機導入阻止行動に突入する。

経済成長が戦後初めてマイナスとなる。インフレ・狂乱物価で、春闘はインフレから生活を守る「国民春闘」と呼び、総ぐるみの闘争を展開。

1975(昭和50)年

74・75春闘で5,575名にのぼる不当処分発表。スト権全面禁止の専門懇意見書に抗議し、スト権奪還3要求を基本に11月26日より8日間、192時間におよぶ公労協スト権奪還ストで、6波にわたり全支部で波状ストを決行する。

「戦後最大」と言われた不況の年。大学卒業予定者の就職内定者の取り消し、自宅待機が相次ぐ。192時間と言う空前の規模で公労協スト権ストが行われた。

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1976~1985

1976(昭和51)年

王子工場対策委員会を設置し工場体質改善問題を検討。第42回定期全国大会により定員削減・合理化に対する申し入れを提出。スト態勢を確立し裁定早期実施を闘う。

ロッキード選挙と言われた総選挙で、自民党が大敗し、保革伯仲時代の幕開けとなった。景気は回復せず、1千万円の大型宝くじが発売。我が国初の五つ子誕生。

1977(昭和52)年

機付人員要求のドラ凹闘争に突入し、証券4支部で職場籠城集会、岡山・虎の門・王子支部で入場規制、虎の門支部で超勤拒否闘争を決行する。停職3名を含む4,831名のドラ凹・春闘処分に抗議行動を展開する。

石油ショック以後の不況が続き「トンネル不況」の時代に入ったと言われた。減税闘争で保革伯仲の中で、戻し税として減税を実施された。

1978(昭和53)年

春闘決戦段階の公労協統一ストで滝野川・小田原・彦根支部拠点に2波にわたるストを決行。第43回定期全国大会決定による合理化決戦闘争に向けての職場討議資料を提起する。

春闘は経営者側が「賃上げより雇用優先」と宣伝する中、労働側は物価上昇分を掲げ、闘いを展開。

1979(昭和54)年

賃上げ・賃金格差是正要求スト拠点を設定し闘う。7月「王子工場体質改善に関する申し入れ書」を提出。拡大出張所支部会議で出張所の整理統合反対行動を確認する。

省エネで「ノーネクタイ・ノー上着運動」「冷房28度に」「石油5%節減運動」などが起こる。

1980(昭和55)年

合理化決戦闘争によって4月4日「将来にわたる雇用と生活基盤の安定を図るための確認書」を調印。公労協スト権奪還闘争の再構築と立法要求の全国総行動を展開する中で岡山支部を拠点とするストで'80春闘を闘う。

激動の80年代、不透明な時代に突入。市場初の参衆同日選挙が実施された。日本、モスクワ五輪不参加。

1981(昭和56)年

第2次臨調答申による政府の行財政改革方針に徹底した闘いを組織するとともに、日銀券改刷の対応と出張所統合・定員削減反対の特別行動を組織する。

春闘は、消費不況の中で闘われ、経営者側は生産性基準原理を、労働者側は10%要求基準制度政策要求を掲げ闘われた。労働戦線統一準備会結成。

1982(昭和57)年

民営・分割化・統廃合の臨調行革攻撃と対決し、3波にわたる統一スト体制を確立して82春闘を闘い、裁定問題でILO勧告を勝ち取る。

1兆円減税を目指す減税メーデー実施。全国民間労働組合協議会(全民労協)発足。500円硬貨発行。

1983(昭和58)年

夏期・年末手当支給に関わる労働協約上の履行義務確認等請求事件で訴訟を起す。王子工場体質改善問題で全支部王子工場対策委員会を開催。配転協約の締結に関する要求書を提出する。

春闘は、鉄冷えと人勧凍結の中で闘われた。金融界が第2土曜日を休日とし、時短をスタート。忍耐辛抱が流行語となり、世はさながら「おしんドローム」となった。

1984(昭和59)年

公企体労働者に対する過去3年間の露骨な賃金抑制、侵害攻撃に組織あげての抗議行動を展開。11月1日新券発行にあたり本部見解を発表する。

15年ぶりにお札のデザインが変わる。聖徳太子が消えた。コアラとエリマキトカゲが話題となる。

1985(昭和60)年

85春闘は電々、専売民営化により公労協は1社4現業体制をもって闘いを強める。研究所問題の討議を中間集約。図書合理化をはじめ各工場の生産体制見直しについての職場討議を提起する。


85国民春闘中央総決起集会
(1985年4月7日、本局)

電々公社民営化(NTTに)戦後40年、反核平和運動が活発となる。

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1986~1995

1986(昭和61)年

第8回企業調査委員会で各工場の生産体制のあり方についての提言をまとめる。ME機器導入に伴う職場実態調査を実施。

ソ連チェルノブイリ原発事故、男女雇用機会均等法施行。国鉄の分割民営化法案強行採決。

1987(昭和62)年

国労の民間移行により公労協は4組合体制をもって87春闘を闘う。8月31日より3日間の第53回定期全国大会は全印刷結成40周年を迎え「輝かしき伝統と組織力に誇りをもって、その歴史を継承し力強く前進する」との大会宣言を採択する。

円高不況(1ドル150円台)で春闘は「雇用か賃上げか」の闘いであった。総評・同盟労働4団体の主要民間単産の結集による全民労連(「連合」の前身)が結成。

1988(昭和63)年

88国民春闘を労働時間短縮闘争の新たな出発点として賃上げ要求とともに週休2日・週40時間体制実施に向けた基本要求を提出し闘い、賃金実態調査をもとに「賃金水準の格差是正に関する要求書」を提出する。

春闘は「国民春闘」から「春季生活闘争」へと変化。

1989(平成元)年

労働協約上の履行義務確認等請求事件の東京地裁公判が結審となる。第55回定期大会は新連合統一準備会加盟を決定、11月21日新「連合」にあわせて総評は39年の歴史をとじる。

官民統一「連合」結成。印刷労連結成(46単組2万人)。ベルリンの壁崩壊。

1990(平成2)年

連合による「新しい運動の出発」としての90春闘生活闘争を全員参加の総行動をもって闘う。労働協約履行義務確認等請求事件訴訟の判決に中央闘争委員会見解を発表し訴訟の終結を図る。

東西ドイツが統一され東西冷戦時代が終わる。湾岸戦争が勃発。景気はバブル経済がはじけ、景気に陰りの兆し。

1991(平成3)年

連合・官公労働者の統一した91春季生活闘争につづいて、国営企業労働者の賃金格差問題で労働省交渉を強める。第8次定員削減計画反対・要員確保要求で緊急行動を展開し、「生活基盤の確立・安定をめざして」の職場討議を組織する。

ソビエト連邦の崩壊。労働時間短縮運動が盛り上がり、育児休業法が国会で可決(92年施行)。

1992(平成4)年

「生活基盤の確立・安定」への職場討議を集約し当面の課題の取組みを確認する。賃金格差是正要求に調停委員長勧告。9月9日からの第58回定期全国大会は新執行部体制を確立し「全印刷の45年の歴史と伝統を継承し、力強く前進する」との大会宣言を採択する。

「平成景気」の拡大基調から、一転して深刻な「複合不況」の様相を呈す事態となる。

1993(平成5)年

93春季生活闘争は賃金引上げ・官民比較手法の見直し改善・在職者調整原資の措置・時間外割増率等引上げを基本に闘う中で官民比較手法見直しを山岸・宮沢会談で合意。「中労委は見直しに着手する」との歴史的な調停委員長見解が提示される。7月8日中央団交において「総合的労働条件向上の協定」を締結。日銀券の需要増への対応措置について申し入れ、緊急行動を強める。

38年にわたる自民党による時代が終わり、8党派の連立政権誕生。平成不況の長期化(円高、産業の空洞化、雇用不安の増大)。

1994(平成6)年

日銀券増産対応を含め年度末手当における業績手当導入を要求。94春季生活闘争は賃金引上げ、総合的労働条件の向上、青年・女性重点要求実現をもって全員参加の行動を展開する。8月29日からの第60回定期全国大会は日銀券増産体制、企業調査委員会の取組みを決める。


94春闘4.6中央行動
(1994年4月10日)

「自・社・さ」の連立政権の誕生。バブル崩壊後の長期不況からようやく明るさが見受けられるようになってきた。

1995(平成7)年

「95春季生活闘争、賃金要求・総合生活改善重点要求中央討論集会」の集約をもとに職場での諸行動を盛り上げる。中労委国営企業全員懇談会において、官民比較手法見直し、新比較手法への移行を確認する。8月28日からの第61回定期全国大会は「戦後50年に関する特別決別」を採択する。

1・17阪神・淡路大震災が発生。戦後50年、被爆50年、国会は不戦決議を採択。

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1996~2005

1996(平成8)年

第100回中央委員会決定による「賃上げ・総合生活改善・青年女性重点要求・日銀券40億体制確立に向けた基本申し入れ」をもとに春季生活闘争、業務量に見合う定員確保の要請行動を強める。8月28日からの第62回定期全国大会は、全印刷結成50周年記念大会として「新世紀への新たな運動の創造へ」の大会宣言を採択する。12月11日全印刷「行政改革対策委員会」は①印刷局の経営形態を変えないこと。②現状の企業規模を守ること。③組合員の雇用をいかなることがあっても守ること、を基本に闘いぬくとのアピールを発表する。

村山内閣が退陣し、再び自民党内閣が誕生。春闘は物価安定下での闘いとなったが、前年を上回り低落傾向に歯止めがかかった。

1997(平成9)年

行革・春闘討論集会、本部課題別オルグをうけて、2月20・21日第101回中央委員会は、賃上げ、総合生活改善重点要求の実現、行政改革に立ち向かい生活基盤の確立、労働条件を守る闘いの方針を決定するとともに、全印刷結成50周年の歴史をふまえ、第63回定期全国大会は「綱領」改正案を提起し、新「網領」を満場一致採択。

消費税が3%から5%に引き上げ。在籍専従制限期間7年になる。政府・行政改革会議、官庁再編について最終報告。セクハラ防止法、介護保険法成立。

1998(平成10)年

「11.20国民のための造幣・印刷事業の確立」をめざす中央集会を日比谷野音で開催。全国から結集した組合員で会場は埋め尽くされた。


11・20中央大集会
(1998年11月20日、日比谷野音)

「中央省庁改革基本法」成立、独立行政法人制度が創立される。

1999(平成11)年

「3.26造幣・印刷の国営維持を求める緊急集会」を社会文化会館で開催。国営維持を求め大蔵省との「4項目合意」を締結。


3.26造幣・印刷の国営維持を求める緊急集会
(1999年3月26日)

「男女共同参画社会基本法」成立。「中央省庁等改革関連法案」成立。ユーロ誕生。東海村のJCOで国内初の臨界事故。

2000(平成12)年

年金改悪を絶対許さぬ行動が連合怒りの800万人総行動で国会前座り込み行動を展開。連合の仲間と共に行動に参加。青年女性活動が常任委員会体制から青年女性会議へ。


「第39回全青代」「第42回全女代」を開催
(2000年10月)

政府、行政改革大綱を閣議決定、行革推進本部を設置。全国初の女性知事(大阪府)誕生。介護保険制度スタート。2千円札発行。

2001(平成13)年

行革闘争に明け行革闘争に暮れた1年

「印刷・造幣労協」を結成し、行政改革の正念場を迎え更に団結の強化を図る。第67回定期全国大会は「造幣・印刷事業に関する私たちの改革提言」を満場一致決定し、財務省との「協議」に臨む。「改革提言」の実現をめざし、中央総行動を展開。


「改革提言」実現中央総行動
(2001年12月)

連合官公部門に労働基本権確立・公務員制度改革対策本部を設置。政府・公務員制度改革大綱を閣議決定。57の独立行政法人発足。中央省庁再編成(1府12省庁に)。

2002(平成14)年

印刷事業の改革めざして取り組んだ1年間

第68回臨時全国大会(2月)を開催し、印刷・造幣労協と財務省との協議の大筋一致を受け「造幣・印刷事業の改革について」を満場一致承認した。造幣・印刷事業改革関連3法案が4月26日の参議院本会議で可決・成立。2003年(平成15年)4月から新たな経営形態「独立行政法人国立印刷局」への移行が決定した。第109回臨時中央委員会(11月)に開催し印刷事業の安定・発展と安心して働くための雇用確保と労働条件維持・向上をめざす。


「第68回臨時全国大会」
(2002年2月27日)

高齢再任用制度スタート。人事院勧告、官民格差が初のマイナスに(7,770円、2.03%)。EU圏内で「ユーロ」流通開始。

2003(平成15)年

21世紀国民のための『国立印刷局』としてスタート

第110回中央委員会は、国立印刷局への移行に伴う労働条件、日銀券の改刷等を協議・決定した。


国立印刷局スタート(2003年4月1日)

「公務労協サービス労働組合協議会」(公務労協)結成。新感染症・SARSが世界的に流行。

2004(平成16)年

新日銀券製造体制、第2次行革闘争に取り組んだ1年

政府の行革推進会議は公共サービスの民間開放を迫り、印刷局事業などを「市場化テスト」に当て込もうとする動きから、印刷局事業と組合員の雇用・身分・労働条件の確保をめざし、全印刷「第二次行政改革対策委員会」を設置。


市場化テスト当て込み反対などで全印刷総行動
(2004年11月19日)

政府、規制改革・民間開放推進本部を内閣に設置。政府、今後の行政改革の方針(新行革大綱)閣議決定。人事院勧告、月例給・一時金とも改定を見送る。年金改革関連法案が可決。政治家の年金未納問題が発覚。新紙幣発行(女性の肖像を初めて採用、樋口一葉)。

2005(平成17)年

第2次行革闘争に始まり、第2次行革闘争に暮れた1年

政府の「規制改革・民間開放」「公務員人件費の削減・印刷局事業の非公務員化」に対する行動を展開。


第2次行革闘争などを掲げ全印刷秋季総行動
(2005年11月17日)

個人情報保護法施行。「郵政解散」総選挙が行われた。

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2006~2015

2006(平成18)年

「安定した印刷局事業の確立」と格差社会に反対し「安心・公正社会」の実現をめざした1年

第73回定期全国大会は「重要三課題」(行政改革課題・印刷局事業の安定・賃金制度改革)など安定した印刷局事業の確立と安心・公正社会の実現・格差是正を求める運動方針を決定。

「行革推進法案」「市場化テスト法案」「公益法人改革関連法案」可決・成立。人事院勧告、比較対象企業規模50人以上に。

2007(平成19)年

より質の高い印刷局事業の確立と組合員の雇用・身分・労働条件確保をめざして闘い抜いた1年

全印刷は結成60周年を迎えた。戦後の混乱期・高度成長期、そして行革闘争を闘う現在の全印刷の歴史は激動の歴史そのものであった。第115回臨時中央委員会(5月)第116回臨時中央委員会(9月)を開催。「より質の高い事業水準確立」キャンペーンの開始、政府の行政減量・効率化有識者会議による印刷局事業の「整理合理化計画の基本方針」に対して「より質の高い印刷局事業の確立」を対置し闘う方針を決定。


全印刷結成60周年
(2007年4月1日)

参議院選挙が「年金問題」を中心に闘われ、与野党逆転になった。

2008(平成20)年

「国の責任で持続可能な印刷局事業の確立」をめざし全力で取り組む決意を固めあった1年

第74回定期全国大会(3月)に開催し、「第2次より質の高い事業水準確立キャンペーン」を全力で取り組むことを決定。竹井委員長・宇田川書記長を軸とする新体制を確立。


第74回定期全国大会
(2008年3月26~28日)

米リーマン・ブラザーズ(投資証券会社)が経営破綻。世界的金融危機が始まり、世界同時不況へ。

2009(平成21)年

「印刷局事業を国の事業・組織として実施」をめざし全力で取り組む決意を固めあった1年

第76回定期全国大会は、政権交代の実現という政治情勢をふまえ、「希望の印刷局事業」の実現に向けて組織の総力を挙げて取り組むことを決定。印刷・造幣労協に「通貨事業等を国の事業・組織として実施する特別対策本部」、組織内に「印刷局事業を国の組織・事業として実施する特別対策本部」を設置し政府の行政刷新会議による「印刷局事業の抜本的見直し」に対する取組み等についての方針を決定した。また、全印刷顧問議員が中心になって民主党に「通貨事業等に関する政策議員懇談会(通貨懇)」が発足した。

第45回衆議院議員選挙が行われ、民主党が308議席を獲得し、政権交代が実現した(民主党・社民党・国民新党の連立政権)。

2010(平成22)年

「印刷局事業を国の組織・事業として実施する」取組みに全印刷組織の総力を挙げた1年

第118回中央委員会は、2010春闘要求と「印刷局事業を国の組織・事業として実施する」取組みに組織の総力を挙げることを確認。全支部で行政改革情勢の認識統一と闘いに全力をあげる決意を固めあう職場集会を開催。UNI (ユニオン・ネットワーク・インターナショナル)の4年に1度の世界大会(第3回)が長崎で開かれ、大会ではブレイキングスルー(突破)を合言葉に、貧困、地球温暖化、人権、平和などの諸課題を討議した。

チリで巨大地震発生(M8.8)。中国・上海万国博覧会。小惑星探査機「はやぶさ」が地球へ帰還。参議院選挙が行われた結果「ねじれ国会」となる。

2011(平成23)年

3.11東日本大震災からの復興・再生へ全力で取り組む

3月11日に発生した東日本大震災は、未曾有の被害を発生させた。全印刷は、ただちに「全印刷東日本大震災特別対策本部」を設置し、組合員・家族の安全確保と災害緊急体制の確立に取り組む。そして、被災者・被災地の救援・支援活動に取り組んだ。政府行政刷新会議の「独法の見直しの基本方針」(9月)をふまえた事業の見直しに対する取組みに全力を挙げる。

3月11日午後2時46分、東北・関東地方でマグニチュード9の巨大地震が発生、大津波で未曾有の被害、東電福島第1原発でメルトダウンとなる大事故発生。

2012(平成24)年

国の関与がより強まる印刷局事業「行政執行法人」化に向けて全力で取り組む

  • 印刷局事業を国の組織・事業とする基本三原則による見直しについて国の関与がより強まった行政執行法人化する関連法案の成立に全力で取り組んだが、衆議院の解散により、法案は廃案となり、成立に至らなかった。
  • 第50回全印刷青年女性友好祭が7月6日~8日の日程で、山中湖村(山梨県)で開催された。

第50回全印刷青年女性友好祭
(2012年7月6日~8日)

11月16日衆議院選は解散。12月4日公示、16日投開票の日程で、第46回衆議院議員選挙が行われ、民主党は改選議席を大きく下回り、再び自公政権を許す結果となった。東京スカイツリータウングランドオープン。

2013(平成25)年

政府「独立行政法人改革基本方針」を決定 国会対策に万全を期す

政府の独立行政法人改革の方針決定とそれに伴う法案審議を見据えた、環境整備、与野党対策、各種取り組み等を進める為、第3次質の高い事業水準確立キャンペーンを展開。

安倍首相が環太平洋経済連携協定(TPP)への交渉参加を正式に表明。長嶋茂雄氏と松井秀喜氏に国民栄誉賞。富士山が世界文化遺産に登録される。2020年夏季五輪・パラリンピックの開催地が東京に決定。

2014(平成26)年

2015年4月国立印刷局が「行政執行法人」へ移行

4月、消費税8%がスタート。長野県、岐阜県の境にある『御嶽山』が噴火。昼の長寿番組『笑っていいとも!』が放送終了。「アベノミクス」の評価を問う第47回衆議院総選挙が実施。

2015(平成27)年

第83回定期全国大会で、梅原委員長、安部書記長の新体制スタート

第18回統一地方選、10道県知事選で現職が全員当選、道府県議選では自民党が圧勝。改正公職選挙法が成立。来夏の参院選から適用。18歳と19歳の未成年者240万人が新たな有権者に。

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2016~

2016(平成28)年

熊本地震復興支援にユースネットワーク組合員中心にボランティア派遣

マイナンバー制度スタート。
4月14日、熊本地方中心に大地震発生。
7月10日、第24回参議院選挙。

2017(平成29)年

結成70周年の節目の年 未来に向けて新たな一歩踏み出す

6月9日、「経済財政運営と改革の基本方針2017」及び「未来投資戦略2017」閣議決定。
6月15日、「共謀罪法案」強行可決・成立(参議院)。
7月2日、東京都議会議員選挙。

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全印刷局労働組合とは